日本の上代文学史
日本上代文学史
日本の上代文学史は、およそ奈良時代までの日本文学の歴史である。
日本上代文学史主要是指,到奈良时代为止的日本文学的历史。
《日本书纪》中一页
概略:
漢字が伝来するまで文字を持たなかった日本人は、口述で神話や伝説を伝えてきた。(口承文学)中国大陸から朝鮮半島を経由して漢字が輸入され、漢文と、自分達の話し言葉に漢字を当てはめた万葉仮名が生まれた。漢字の伝来により成立したのが日本書紀と古事記である。この時代から漢文こそが正当な表現であり、仮名は一段低く見られる風潮が長く続く。『懐風藻』は日本文学における最古の漢詩集である。また、『万葉集』のような和歌集も生まれた。万葉初期の作品には見られなかった個人としての作家性も、後期には多く見られるようになり、柿本人麻呂や山上憶良、大伴家持といった著名な歌人も登場した。
概述:
在汉字传入日本之前,没有文字的日本人靠口述传承神话和传说(这被称为口承文学)。文字由中国大陆经朝鲜半岛传入日本之后,产生和汉文和用汉字来表示自己语言发音的万叶假名。通过汉字的传入而完成的作品有《日本书纪》和《古事记》。从这个时代起,汉文就被视为正当的表记手段,轻视假名的风潮之后持续了很长时间。《怀风藻》是日本文学中最古老的汉诗集。此外,这个时期还产生了《万叶集》这样的和歌集。在万叶集初期的作品里,没有发现专门的个人作家和作家特征。而到了后期却可以看到很多,还出现了柿本人麻呂、山上憶良和大伴家持等著名的歌人。
文学の周辺:
遣隋使によって中国大陸から文化的に大きな影響を受けた。これは遣唐使に引き継がれた。史書として『古事記』『日本書紀』、地方誌として『風土記』が書かれた。これらは厳密には文学とは呼べないかもしれないが、当時の貴重な文献であり研究対象として欠かせない。
文学相关:
由于遣隋使者的活动,这一时期文化上受到了中国大陆很大的影响。之后,与大陆之间的联系又被遣唐使继承。这一时期的作成的史书有《古事记》《日本书纪》,地方志有《风土记》。严格意义上说,这些作品也许不能被称为文学,但它们是记录了当时情况的宝贵文献,作为研究对象是必不可缺的。
上代文学の主な作品一覧:
『三経義疏』聖徳太子/
712年『古事記』稗田阿礼?太安万侶/ 神話、伝承
713年頃『風土記』/ 地誌
720年『日本書紀』舎人親王/ 神話、歴史
751年『懐風藻』未詳 /漢詩集
759年以前『万葉集』大伴家持ら/ 和歌集
758 - 822年頃『日本現報善悪霊異記(日本霊異記)』景戒/ 説話
764年『百万塔陀羅尼経』
772 年『歌経標式』藤原浜成/
797 年『続日本紀』/
807年『古語拾遺』斎部広成/ 神話
日本の中古文学史
日本中古文学史
日本の中古文学史(にほんのちゅうこぶんがくし)は、中古(およそ平安時代)の日本文学の歴史である。
日本中古文学史指的是,中古时期(主要是平安时代)的日本文学的历史。
土佐光起作『源氏物語画帖』
漢詩?漢文が上代に引き続き栄え、特に『和漢朗詠集』でも多く採り上げられた白居易(白楽天)の影響は大きかった。『源氏物語』などの仮名の物語文学においても、「桐壺巻」などで白楽天の『長恨歌』との関係が強く認められる。また、政府の教育機関であった大学寮においても漢詩?漢文?歴史を教授した紀伝道の地位が上昇し、紀伝道の教授である文章博士から右大臣となった菅原道真は、政治家としてのみならず、優れた文学者としても知られている。
这个时期,汉诗和汉文承上代继续兴盛。特别是白居易(白乐天)的影响很大,《和汉朗咏集》中收集了很多他的作品。在《源氏物语》等假名物语文学中,“桐壶卷”等篇章被广泛认为和《长恨歌》密切相关。并且,在当时的政府教育机关——大学寮里,教授汉诗、汉文、历史的纪传道的地位也上升了。从文章博士(纪传道的教授)升至右大臣的菅原道真,不仅是杰出的政治家,还是优秀的文学者。
905年には初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が編纂され、和歌が漢詩と対等の位置を占めるようになった。それに伴い、著名な歌人の歌を集めた私家集の存在が認められるようになる。成立時期や編者などは各家集ごとに状況が異なるため未詳であるが、紀貫之の歌を集めた『貫之集』、伊勢の『伊勢集』など後世の歌人?作品に影響を与えたと思われる作品も多い。
905年,最早的勅撰和歌集《古今和歌集》编成。和歌开始获得和汉诗同等的地位。与此同时,收集著名歌人和歌的私家集也得到人们认可。因为各家集的情况都有所不同,所以编成时期和编者都不详。但其中也有许多作品,如收集了纪贯之的和歌的《贯之集》、伊势的《伊势集》等,给予了后世歌人和作品很大的影响。
平安時代を通して、男性貴族が政治で使う文字は漢字であり、文章は漢文であり続けた。しかしその一方で「かな」による表現が盛んに始まった。後宮の女房など女性たちが「かな」を使用したため、その女性たちと交流を持つ男性官人も「かな」を使うようになった。前述の和歌の隆盛も、「かな」の流行とは無縁ではなく、多くの女流歌人を生み出している。紀貫之が女性の立場から仮名で書いた『土佐日記』をはじめとして、仮名文の日記風の作品が認められるようになる。また清少納言の手による、随想的章段を含む『枕草子』などが書かれ、随筆的文学が栄えていくことにもつながった。
整个平安时代,贵族男子政治上使用的文字还是汉字,写文章也是汉文。但另一方面,用“假名”的表记也开始盛行。由于后宫的女子们都是用假名,因此和这些女子有往来的男性官员也开始使用假名。上述和歌的兴盛,也和“假名”的流行有很大关系。这个时代诞生了很多女歌人。纪贯之以女性的立场用假名写成了《土佐日记》。以此为始,用假名写的日记风作品得到人们认同。还有清少纳言写的《枕草子》,其中包含随想性的篇章,为随笔文学的兴盛做了铺垫。
多くの物語作品が作られたのもこの時期の特徴である。『源氏物語』で「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」と表現される『竹取物語』にはじまり、『伊勢物語』?『宇津保物語』?『落窪物語』など現存する物語が多く書かれている。これらは平安初期においては男性の手によると思われるものも多いが、仮名による女性の作品が増えていくのも特徴である。先行する数多の漢文学、仮名文学双方を踏まえた紫式部による『源氏物語』は、中古の文学の代表作とも言うべき長大な作品で、以降の日本の文学史全体に強い影響を与えている。
物语文学作品的大量出现也是这个时期的一个特征。以《源氏物语》中称之为“物语之祖”的《竹取物语》为首,现存的还有《伊势物语》《宇津保物语》《落窪物语》等。其中有许多都被认为是平安时代初期男性写成的作品,但女性用假名写成作品的增加也是一大特征。在先行众多汉文学和假名文学的基础上,紫式部作成的《源氏物语》,是一部可以称之为中古文代表作的巨著。对以后整个日本文学史产生了很大影响。
また様々な説話集も編まれており、その集大成とも言いうる『今昔物語集』などの説話集の存在も、この時代の文化や文学の様子をよく現している。
另外,这个时期还出现了各种各样的说话集(民间传说文学)。其中,《今昔物语集》可以说是集大成之作,很好地反映了这个时代文化和文学的情况。
中古文学の主な作品一覧:
905年『古今和歌集』醍醐天皇勅令/紀貫之?紀友則ら/ 勅撰和歌集
910年以前『竹取物語』未詳/ 物語
935年頃『土佐日記』紀貫之/ 日記
成立時期不明(諸説ある)『伊勢物語』未詳/ 物語
974年以後『蜻蛉日記』藤原道綱母/ 日記
989年頃『落窪物語』未詳/ 物語
1000年頃『枕草子』清少納言/ 随筆
1004年以後『和泉式部日記』和泉式部/ 日記
1008年頃『源氏物語』紫式部/ 物語
1010年以後『紫式部日記』紫式部/ 日記
1018年頃『和漢朗詠集』 /詩歌集
1059年以後『更級日記』菅原孝標女/ 日記
1120年頃『大鏡』未詳/ 歴史物語
1120年頃『今昔物語集』未詳/ 説話
1170年『今鏡』藤原為経/ 歴史物語
1184年『梁塵秘抄』後白河天皇/ 歌謡
日本の中世文学史
日本中世文学史
日本の中世文学史では、およそ鎌倉時代から安土桃山時代までの日本文学の歴史を記述する。
日本的中世文学史记述的是,从镰仓时代到安土桃山时代的日本文学的历史。
日本中世文学最高杰作——《平家物语》
源頼朝が鎌倉幕府を開き、政治の中心が上方から東国へ移ったが、京都は文化的中心であり続けた。鎌倉時代には藤原定家らによって華麗な技巧に特徴がある『新古今和歌集』が編まれた。また、現代日本語の直系の祖先と言える和漢混淆文が生まれ、多くの作品が書かれた。鴨長明の『方丈記』吉田兼好の『徒然草』などがこれにあたる。『平家物語』は琵琶法師により、室町時代には『太平記』が太平記読みにより語られた。その他説経節等語り物の充実は、近世の浄瑠璃の隆盛へと繋がってゆく。御伽草子などの物語も一般民衆の間で読まれ、文芸が知識階級のみのものではなくなり庶民の間へも広まっていく。
源赖朝创立了镰仓幕府,政治的中心也从京都向东边移动,但文化中心仍然是京都。镰仓时代,由藤原定家等人编成了以华丽的技巧为特征的《新古今和歌集》。此外,被称为“现代日语祖先”的和汉混淆文也诞生了,并出现了很多作品。鸭长明的《方丈记》、吉田兼好的《徒然草》等就是这种文体。《平家物语》由琵琶法事传唱,室町时代《太平记》通过太平记说唱人传播开来。除此之外,说经节等说唱故事的发展,为近世净琉璃的兴盛奠定了基础。御伽草子(おとぎぞうし)等故事也在一般民众之间广为传读。文艺已经不仅是知识阶层的独享之物,也不断地在平民之间传播开来。
室町時代には京都五山や公家が中心となり古典研究が行われ、また鎌倉時代から上句と下句を連ねる和歌である連歌も貴族から一般民衆までの間で行われた。
室町时代,以京都五山和公家为中心,开始了对古典的研究。而且,从镰仓时代起,将上句和下句连起来的和歌——连歌也在上至贵族下至一般百姓之间流行开来。
中世文学の主な作品一覧:
1190年以前『山家集』西行/ 私家集
1205年『新古今和歌集』後鳥羽院勅令/ 藤原定家?源通具ら/ 勅撰和歌集
1212年『方丈記』鴨長明/ 随筆
1212年頃『無名抄』鴨長明/ 歌論書
1213年『金槐和歌集』源実朝/ 和歌
1216年以前 『平家物語』未詳/ 軍記物語
1235年『新勅撰和歌集』後堀河天皇勅令/ 藤原定家/ 勅撰和歌集
『小倉百人一首』藤原定家/私選和歌集
1252年『十訓抄』六波羅二臈左衛門入道/ 説話
1254年『古今著聞集』橘成季/ 説話
1283年『沙石集』無住道暁/ 説話
1330年頃『徒然草』吉田兼好/ 随筆
1356年『莵玖波集』二条良基/ 准勅撰連歌撰集
1361年頃『曽我物語』未詳/
1376年以前『増鏡』未詳/ 歴史
1400年『風姿花伝』世阿弥/ 能
1411年頃『義経記』未詳/
1488年『水無瀬三吟百韻』宗祇?肖柏?宗長/ 連歌
1495年『新撰莵玖波集』一条冬良?宗祇/ 准勅撰連歌撰集
日本の近世文学史
日本近世文学史
日本の近世文学史(にほんのきんせぶんがくし)は、およそ江戸時代の日本文学の歴史である。
日本的近世文学史大约是江户时代的日本文学的历史。
日本の近世文学史(にほんのきんせぶんがくし)は、およそ
概略
享保年間(1716年 - 1735年)を境目に大きく前後半に分けられる。
概略
以享保年间(1716年-1735年)为界,分为前期和后期。
前期
お伽草子の流れを汲み仮名草子や井原西鶴らによる浮世草子がうまれた。16世紀に入って急速に成長した浄瑠璃の世界では、人形を加えた人形浄瑠璃用に近松門左衛門が戯曲を書き人気を博した。松永貞徳らにより栄えた俳諧は、後に松尾芭蕉が現れ表現として大成させた。
前期
产生了构成伽草子流派的假名草子和以井原西鹤为代表人物的浮世草子。16世纪以后,净琉璃飞速发展,近松门左卫门为加入人形的人形净琉璃编写剧本使其大受欢迎。因松永贞德等人而兴起的俳谐,后来因松尾芭蕉的出现,也作为一种表现形式而大有成就。
後期
後期には俳諧の与謝蕪村、小林一茶らが活躍した。上田秋成の『雨月物語』や曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』といった読本が書かれ、庶民向けの娯楽として赤本?青本などの草双紙が出版され、広く読まれた。人形浄瑠璃に押されていた歌舞伎は、鶴屋南北や河竹黙阿弥等の戯曲を得て、人気の回復に成功した。
后期
后期,与谢无村、小林一茶等人在俳谐的创作上非常活跃。上田秋成的『雨月物语』和曲亭马琴的『南总里见八犬传』的完稿,以及出版的面向庶民娱乐的通俗绘图小说赤本和青本都被广泛传阅。被人形净琉璃超越的歌舞伎因为得到了鹤屋南北和河竹默阿弥等的剧本而再次受到人们的欢迎。
文学の周辺
形骸化した歌学を批判する形で、儒教の一派の古学の影響を受けて国学が現れた。賀茂真淵、本居宣長らが活躍した。滑稽話の元祖として安楽庵策伝の『醒睡笑』が著され、さらに江戸と上方で現在の落語の原形となる話芸が流行する。三味線音楽など江戸期に特徴的な音曲が流行した。葛飾北斎らにより浮世絵が描かれ、町人に愛玩された。浮世絵は遠くフランスの印象派にも大きな影響を与えた。
文学相关
作为以批判形骸化的歌学的形式存在,并且受儒教影响的古学出现了,以贺茂真渊、本居宣长等人最为活跃。被认为是滑稽话的原祖的安乐庵策传编著了『醒睡笑』,并且在江户和上方被作为现在的落语的原形的一种话艺而流行。三味线音乐等有特征的音乐在江户时期很流行。葛饰北斋等人作的浮世绘被商人所喜爱。浮世绘对远在法国的印象派也大有影响。
近世文学の主な作品一覧
1623年頃『竹斎』富山道治/ 仮名草子
1623年『きのふはけふの物語』未詳/ 噺本
1623年『醒睡笑』安楽庵策伝/ 仮名草子?噺本
1633年『犬子集』松江重頼/ 俳諧
1639年頃『仁勢物語』未詳/ 仮名草子
1643年『新増犬筑波集』松永貞徳/ 俳諧
1649年『挙白集』木下長嘯子/ 和歌?和文
1662年『江戸名所記』浅井了意/ 地誌
1682年『好色一代男』井原西鶴/ 浮世草子
1685年『出世景清』近松門左衛門/ 浄瑠璃
1686年『好色五人女』井原西鶴/ 浮世草子
1686年『好色一代女』井原西鶴/ 浮世草子
1687年『男色大鑑』井原西鶴 /浮世草子
1687年『武道伝来記』井原西鶴/ 浮世草子
1688年『日本永代蔵』井原西鶴 /浮世草子
1690年『万葉代匠記』契沖/ 注釈
1692年『世間胸算用』井原西鶴/ 浮世草子
1693年『西鶴置土産』井原西鶴 /浮世草子
1694年『すみだはら』野坡?利牛ら/ 俳諧
1701年『けいせい色三味線』江島基磧/ 浮世草子
1702年『奥の細道』松尾芭蕉 /俳諧紀行
1703年『曾根崎心中』近松門左衛門/ 浄瑠璃
1704年『去来抄』向井去来/ 俳諧
1706年『本朝文選』五老井許六/ 俳諧
1709年『笈の小文』松尾芭蕉/ 俳諧
1711年『冥土の飛脚』近松門左衛門/ 浄瑠璃
1715年『国性爺合戦』近松門左衛門/ 浄瑠璃
1718年『独ごと』鬼貫/ 俳諧
1720年『心中天の網島』近松門左衛門/ 浄瑠璃
1721年『女殺油地獄』近松門左衛門/ 浄瑠璃
1725年以前『折たく柴の記』新井白石/ 伝記
1770年『遊子方言』田舎老人多田爺 /洒落本
1776年『雨月物語』上田秋成/ 読本
1789年『玉くしげ』本居宣長/ 国学
1790年『古事記伝』本居宣長/ 国学
1795年『玉勝間』本居宣長/ 国学
1797年『新花摘』与謝蕪村/ 俳諧
1801年『父の終焉日記』小林一茶/ 俳諧
1802年『東海道中膝栗毛』十返舎一九/ 滑稽本
1809年『浮世風呂』式亭三馬/ 滑稽本
1813年『浮世床』式亭三馬/ 滑稽本
1814年『南総里見八犬伝』曲亭馬琴/読本
1820年『おらが春』小林一茶/ 俳諧
1825年『東海道四谷怪談』鶴屋南北/ 歌舞伎狂言
1829年『偐紫田舎源氏』柳亭種彦
1837年『北越雪譜』鈴木牧之
1860年 (安政七年) 『三人吉三廓初買』河竹黙阿弥 /歌舞伎狂言
1863年 (文久三年) 『弁天娘女男白浪』河竹黙阿弥 /歌舞伎狂言