271石光真臣
(1870.6.7-1937.12.8)
官位 陸軍中将従三位勲一等功四級
陸士1期 陸大14期
出身地 熊本県
明治3年5月9日生
父 細川藩産物方頭取石光真民の三男
明治21年(1988)7月 陸軍幼年学校卒業
明治23年(1890)7月26日 陸軍士官学校卒業
明治24年(1891)3月26日 陸軍砲兵少尉任官 野戦砲兵第2連隊附
明治24年(1891)4月15日 近衛砲兵連隊附
明治26年(1893)11月1日 陸軍砲兵中尉昇進
明治28年(1895)11月7日 陸軍砲兵大尉昇進 近衛野戦砲兵連隊中隊長
明治28年(1895)12月20日 功五級金鵄勲章
明治29年(1896)5月18日 近衛野戦砲兵連隊附
明治29年(1896)5月22日 近衛野戦砲兵連隊大隊副官
明治29年(1896)6月10日 近衛野戦砲兵連隊中隊長
明治29年(1896)11月28日 陸軍砲工学校卒業(第3期)
明治30年(1897)12月28日 陸軍大学校入校
明治33年(1900)12月20日 陸軍大学校卒業
明治34年(1901)11月3日 陸軍砲兵少佐昇進 野砲兵第15連隊第1大隊長
明治35年(1902)6月27日 参謀本部員
明治36年(1903)5月1日 基隆要塞参謀
明治36年(1903)8月25日 基隆要塞司令部附(独国私費留学)
明治37年(1904)4月5日 野砲兵第10連隊大隊長
明治38年(1905)5月2日 陸軍砲兵中佐昇進 旅順要塞参謀
明治39年(1906)4月1日 功四級金鵄勲章
明治40年(1907)2月14日 下関要塞参謀
明治41年(1908)12月21日 野砲兵第8連隊長
明治43年(1910)12月23日 陸軍砲兵大佐昇進
明治44年(1911)9月9日 第10師団参謀長
大正2年(1913)8月22日 参謀本部兵要地誌課長
大正3年(1914)3月 東部内蒙古出張(~大正3年8月)
大正4年(1915)11月7日 勲三等旭日中綬章
大正5年(1916)5月2日 陸軍少将昇進 支那駐屯軍司令官
大正7年(1918)6月10日 憲兵司令官
大正8年(1919)5月30日 勲二等瑞宝章
大正8年(1919)7月25日 陸軍中将昇進
大正9年(1920)8月10日 馬政局長官
大正9年(1920)11月1日 勲一等瑞宝章
大正11年(1922)10月20日 第1師団長
大正11年(1922)10月30日 正四位
大正14年(1925)5月1日 待命
大正14年(1925)5月25日 予備役編入
大正14年(1925)6月24日 従三位
昭和8年(1933)4月1日 後備役編入
昭和12年(1937)4月1日 退役
昭和12年(1937)12月8日 68歳で死去
倭国陆将志--石光真臣 陆雅臣卖娘子
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